三島 由紀夫 vs 東大 全共闘。 【『三島由紀夫vs東大全共闘』の茶番に熱狂した人たちへ】

ドキュメント映画「三島由紀夫vs東大全共闘」が見たい!!

樺美智子の本気度 は、その日東大900番教室に居た団塊の世代に伝播していた。 「私の考へる革新とは、徹底的な論理性を政治に対して厳しく要求すると共に、民族的心性(ゲミュート)の非論理性非合理性は文化の母胎であるから、... 敵対関係にあった三島と学生たちだが、体制派、反体制派、と単純に分けられる関係ではないことがわかってくる。 それを充分論理化できぬことに彼らはいらだっている。 [解放区の意義は]それを明らかにしたことでしょう p44~47 / 18世紀フランスのある研究者によれば、「実際18世紀フランスの公共圏でも、劇場やカフェがこういった空間として機能し、フランス革命期にも急増したカフェやパレ・ロワイヤルのような空間が祝祭空間として、憲法制定議会や国民公会と連動した」という。 本音と本音を討論し合って分かり合うという知恵者同士の闘いは、伝説にしておくにはもったいない。

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三島由紀夫対東大全共闘から50年

デビュー作「日蝕」で三島由紀夫の再来と称えられた小説家の平野啓一郎、この討論の翌年に東大に入学した神戸女学院大学名誉教授の内田樹、60年代の研究で知られる社会学者の小熊英二、三島にファンレターを出して以来交流のあった作家で僧侶の瀬戸内寂聴という錚々たる顔ぶれだ。 一方で、肉体を鍛え上げ民兵組織〈楯の会〉を率いる天皇主義者としても知られていた。 一方の三島由紀夫は、ノーベル文学賞の候補にもあがる世界的な文学者であり、自衛隊に体験入隊を繰り返し身体を鍛え上げて、「天皇」を抽象的な「神聖な概念」と捉える右翼派の考えを持っていました。 歴史的な事実は風化させてはならず、そこで何があったのかと、世代を超えて知っておくべきでしょう。 その生身の身体も文化・伝統としての天皇の身体と共に受け止めるのだということを、三島さんは伝えたかったのだと、最近思うようになった。 会場には万が一に備えて、三島のつくった「楯の会」1期生の原昭弘がもぐり込み、三島がこっそり呼び寄せた雑誌の記者もいましたが、礼節をわきまえた言葉と言葉の戦いに、みな我を忘れて聞き入っていました。

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東出昌大が激論の果てに見た「三島由紀夫vs東大全共闘」

百戦錬磨の三島由紀夫に二十代の若者が挑んだ。 舞台 1969年5月13日 東大駒場キャンパス 900番教室 1000人を超える学生と 三島由紀夫 との討論会 つまり 大勢の学生と作家さんとの討論会なわけですが、今では決して実現不可能な対決です。 「政治的」にふるまうというのは、自分ひとりの言葉や行動が世の中を変えるかもしれないという、一種の「妄想」に取り憑かれることです。 三島は、その司祭になろうとしたといえる。 そのことに途中で気がついた。

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死の1年半前、三島由紀夫が東大全共闘と繰り広げた「伝説の討論会」とは

そのとき、ラジオのニュースから「三島由紀夫、自殺」のニュースが流れてきた。 1968年に大学の不正運営などに反対した学生が団結して始まった全国的な学生運動、特に最も武闘派と言われた東大全共闘に、言葉とペンを武器にする文学者・三島由紀夫は単身で乗り込んだ。 900番教室を埋め尽くしたのは 1000人を超える 東大全共闘の学生たち。 「天皇」という一言が日本人をして小市民的限界を超えた政治的狂気に駆り立てることのできるイデオロギー的な発火点になり得るということを、三島は戦前の経験を通して知っていた。 特に、三島の戦後社会批判は、もう批判のレベルを通り越した「呪詛」であった。

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三島由紀夫VS東大全共闘 伝説討論会を文字に起こしました|「NEWS23」スタッフノート|note

この討論会での三島について、評論家の保阪正康氏は「本質的に知性の人」であり、「感性に対しては異常なまでに嫌悪感を示している」と著書『憂国の論理』で記している。 私はこの場にいて聞いていたのだが、三島由紀夫は決して難解なことを言わないのに対し、東大全共闘のあまりにも観念的な主張に同じ仲間として辟易した記憶がある。 収録作品:昭和43年5月から昭和44年12月までの評論144篇。 映画のクライマックスは駒場での東大全共闘との討論の場面だった。 他のものは一切信じないとしても、これだけは信じるということを分かっていただきたい」 この討論会について 「大変愉快な経験であった」と記した三島。

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東出昌大が激論の果てに見た「三島由紀夫vs東大全共闘」

。 2020年5月10日(日) 孫たちのために、夏生地でマスクを作ります。 それによって、英霊たちは還る場所を失い、いまだ霊としてさまよっていることを訴えるものであり、つまりはホラー小説としての怖さがある。 総革装。 1969年当時は予備校生だった。 そしてそれがどうしても俺の中で否定できないのだ。 その東大生たちに対し、は討論の相手として会場の教室に乗り込み、1,000人の学生を相手に、1人で論陣を張った。

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